2008年11月10日月曜日

ヴィルヘルムハンマースホイ

先週末金曜日は、定時に会社を出て西洋美術館に出向いた。ヴィルヘルム・ハンマースホイ展を見たかったからだ。 Vilhelm Hammershoi http://www.shizukanaheya.com/ 公告を見て興味を持ったのだが、その写真には穏やかな、言うなれば無音の室内空間が描かれていた。人物の居ないインテリアを描く画家らしい。
もう10年くらい前になるが、私は建築のインテリアパースを3DCGで作成していたことがある。このときに腐心したのが、写真品質のリアリティはもちろんだが、良い絵を作りたいということだった。別に絵画風に仕立てたいという意味ではない。何らかのインパクトを見る側に伝えたいと考えていたのだ。こうした内観図は、空間を説明する絵であるから、人物を入れる場合は極力控えめに入れるか入れない。つまりハンマースホイの絵のように人が居ないインテリアの絵なのである。住宅をテーマにしていたから、生活感を出すためのティーセットや家具といった小道具をたくさん配置する。こうしてできた絵は、にぎやかだがつまらないものだった。中心になるものを設定することが難しいと言えばいいのだろうか。絵としては何も伝えない。そんなものが出来上がる。説明図である分にはそれでいいのだけれど。
そんな記憶があって、ハンマースホイの絵がみたかった。
1時間ほど眺めることができた。あいまいな描線や歪んだパースライン、つじつまの合わない陰影。大胆な省略。モチーフを描きたいわけでは無いという作者の主張が良くわかるような気がした。人物を入れても後姿である。親友や妻の肖像にしても作者の暖かい感情が感じられない。つまり思いいれが無い。何が描きたかったのかわからない。 絵画鑑賞において、作者のメッセージや意図などあろうがなかろうが気にする必要は全くないとは思うのだが。気になる。
写真は一瞬を切り取る作業だから、こうした「何が撮りたかったのかわからない」失敗作は良く見かける。しかし絵画は、写し取る対象と長時間対峙するのだ。描いている間、その対象を観察しながら様々な事を考える。少なくとも僕はそうだ。 彼は何を考えて描いていたのだろう。
ハンマースホイの絵には静謐という形容が用いられる。確かにそれは私にも伝わってくる。空辣ではない。最小限の扉や家具の前にある空気が、じっとしている様が見えるような気がする。私の記憶にある良く似た光景。チンダル現象をぼんやり眺めた少年時代の一瞬、そのときの静寂。
ハンマースホイは空気を描いていた、というのを私の結論にしておこうか。
CGで同じような構成で空気を描けないか。不遜にも考えて3DCGで挑戦。昔作った扉や窓のデータが残っているから、遊び半分たいした手間はない。左がCGで作成した図(絵とは言わない)。右は作成中のパソコンの画面。フォトショップでタッチを合成。奥行きが出ない。Fogを入れてレンダリングしたのだけれど、窓の前の空間は真空でしかないようだ。

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