2011年3月27日日曜日

浸透マスを作る


 当面下水は一切流してはならぬ状態が続くようなので、色々対策を講じなくてはならない。木曜日に発注した洗濯用炭がさっそく届いた。さらに子供と庭に浸透マスを作ることにした。簡易浄化装置からは程遠いが、まぁちょっぴり意地があったりして...
 浸透マスというのは、排水を地面の中にしみ込ませるためのもの。庭仕事のために外に設けた洗い場の排水を独立させて、浸透マスに導くことにした。 買ってきた45リットルゴミバケツの底をドリルとノコギリで穴をあける。穴を掘って、穴の底に大きな石や瓦礫を入れ、その上に粒径20mmくらいの砂利を敷いて平坦にならす。
砂利の上にバケツを置いて、さらに砂利を少し入れてから炭を入れた。外洗い場の排水を塩ビ管でこのバケツに導くと、炭と砂利で(たぶん少しは)浄化されて地中にしみ込む(はず)。ここいらへんに浄化装置へのこだわりの残滓。
ジョウビタキとルリビタキの雌は見かけたのだが、全体に鳥の数はとても少ない。

2011年3月24日木曜日

洗濯排水の浄化について考えた

神田川に居たカモメ。数羽が飛んでいるのを何度か見たことがあったのだが、10羽くらいがまとまって水面を泳いでいるのは珍しいような気がしたのでパチリ。鳥そのものは露出オーバーでぼんやりだが、水の波紋がきれいに撮れた。
今日も会社の帰りに銭湯に寄る。銭湯に寄って帰ってくるお父さんというのは昔風である。家のそばにある店なので、排水停止エリア隣接だから混んでいるかなと様子を見に寄っただけなのだが、がらがらだったので思わず入ってしまった。
昨日の都内の近代的なのだが遊びの無い浴場と違って、古めかしい壁絵があったり、番台に女性が座っていたりで昔ながらの銭湯。勤め人が帰りがけに寄るにふさわしい。脱衣場は篭はあってもロッカーなどは無い。客の持ち物は番台が見張っているということだろう。壁の棚には常連客のものらしいこまごました浴用セットが雑然と押し込まれていたり、タオルが干してあったりで、しごく暢気な風情である。石鹸やシャンプーも持ち込みが原則らしく浴場内に用意は無いから、番台で100円の石鹸と50円のシャンプーを買う。浴槽の湯はとても熱かった。そういえばここは熱いという噂を聞いたことがあった。
帰ってから生活排水関係の情報をググる。現行の風呂もしくはシャワーの湯を排水せずに全て洗濯に回し、洗濯排水を庭に散水する方法が、芝や植木には負担だろうと考え、簡易浄化装置を作ろうと思い立ったのだ。石鹸成分をカルシウムで沈殿させる方法や砕石に微生物を付着させて分解させる方法などを探すのだが、お手軽・廉価な工作ネタにするには難しい。炭+洗濯排水で検索したら、石鹸の代わりに炭で洗濯する製品が見つかった。備長炭を洗濯機に放り込むだけで良いのであれば、その排水はそのまま庭に撒いて差し支えない。家内はこれが試すに値するとすっかり乗り気になったのだが、全く工作の要が無くなってしまう。当方の構想を控えめに説得を試みたが、結局アマゾンで洗濯用炭の発注ボタンを押すことになった。私の技術力に対する家人の期待と信頼が良く理解できたような気がした。

2011年3月23日水曜日

銭湯

仕事帰りに風呂屋に寄る。御茶ノ水から数分を小雨の中歩いた。
銭湯に行こうと思ったのは、下水使用禁止のせいで自宅の風呂が使えないからだ。風呂に湯をためて排水しないようにつかり、残り湯を翌日の洗濯に使うといった工夫はしているが、どうしてもザーザーと頭が洗いたくなった。
会社で年賀にもらったタオルを持参。受付でお一人ですか?と尋ねられてそうだと答えると、すぐご案内できますと言われるのだが、どうしたら良いのかわからない。前の人のやっている通りの真似をすることにした。靴を脱いで下足箱に入れ、その鍵と自販機で購入したチケットを持って受付に戻るとロッカーの鍵を渡される。下足管理を重視するのはいかにも風呂屋らしい。
風呂屋の名前には「遊」の文字があるものの、風呂がそれほど広いわけでもなく、また遊び心を感じさせるような装飾も無いのだが、このような状況下の私にとっては入浴そのものが遊行と言えるから不満は無い。
湯に添加してあった湯の花の効果は絶大である。電車の中でも汗をかき、家に到着した時も顔や手足はすっかり冷えて冷たいものの体内には暖かさが残っていた。
写真は先週末に撮ったもの。

2011年3月21日月曜日

排水の陣


上の写真は昨日撮った彼岸桜。今日は終日雨。雨量がたいしたことがなかったのは幸いで、 土嚢は作らなくてももよかった様子。とうとう排水禁止のお触れが出た。小用については家人はペットボトルに溜めて、私が行く時に捨ててくる。同じ場所はつまらないので、あちこちの公園の仮設トイレに足を運ぶ。寄せ集めたのだろう、仮設用といっても様々な種類があることがわかった。小用以外は、今日のところはトイレが使える商用施設に出向いた。明日からは公園か、ビニール袋か。風呂は排水できないから洗い場で流せない。あったまるだけにして、捨てざるを得ないお湯はバケツに溜める。残り湯は明日の洗濯に使ってから庭に捨てる。家内の負担が大きい。
昨日の工作の続きを行う。作っていたのは以前作ったカメラガン(2010年型)の発展形である2011年型。ZenithStar66SDを搭載するための銃身を今回はアルミでは無く木材にした。天気の良い日に銃床と同系色のニスを塗ろう。友人に銃型のカメラが世の中に存在することを教えもらった。フォトスナイパー(ロシア製)。日本にも輸入されているらしい。この製品は専用の光学系を搭載するものなので、こちらのように色々なカメラや望遠鏡を積める方が便利である。しかし使いやすいのかね、これ。
下の写真も昨日撮ったものだが、山茱萸 (さんしゅゆ)という木。
 

2011年3月20日日曜日

体を動かす


 家の前は道路をはさんで公園になっていて、公園は道路よりも少し土地が高い。雨が降ると公園から道路に地表水が流れてくる。液状化による噴砂が、道路と公園の間に堤のように残っているから今までのようには流れてこないだろう。だが公園の遊歩道から道路に出る部分からは流れてくるに違いない。そこで子供たちと相談して土嚢を積んでおくことにした。自転車が通れる幅は残してあるが、雨の日の状況によっては閉鎖する。こんなものが役に立つのかなぁという意見もあったのだが、とりあえず転ばぬ先の杖ということで。
 土嚢の製造と設置が終わって、特段することが無くなってしまったから、そこいらに転がっていた端材で木工をすることにした。端材に直接鉛筆でアウトラインを引いただけの成り行き仕事。ちょっとだけルーターを使ってしまったが、節電の折なので、基本的に電気は極力使わない。刃物でだいたいの形を作って、後はやすりをひたすらかけて整える。目論見どおりにはなかなかならないのだが、くよくよしないでどんどん削る。こういう作業は没頭できるので気晴らしになるのだ。
形が見えてきて愛着が出てくる頃に、大事なところに節があったりする不都合が気になり始めるい。いいかげんに始めるとこういうことになるのだが、まぁしかたあるまい。

2011年3月19日土曜日

心配性


街は徐々に日常を取り戻しつつある。公園では仮設トイレの横で親子がキャッチボールをしていた。びーすけの散歩も工事中で通れないところを避けながらいつもの公園を巡回。
公園にはいつものジョウビタキ雌が居た。早咲きの桜が咲き始めたせいか、花の蜜を好むヒヨドリが元気だ。狂騒と言ってよさそうなはしゃいだ鳴声が木立の間を通り抜ける。鋭く高い音なので私はあまり好きではない。
オナガも多い。こいつらもギョエッという変な声を出しながら公園の中を群れで移動する。公園は、春が近くなると聴覚的には好ましい環境ではなくなるなぁ。左はオナガが飛び上がった瞬間の合成。
明日の夕刻から雨の予報。道路端に寄せた泥と砂が気になる。だいぶ片付けてもらったから、道路が再び泥の川に戻ることはあるまい。しかし側溝は泥が塞いでしまっているから、陥没によって道路面が下がったところに大きな水溜りができるだろう。拙宅周辺は分流式(汚水/雑排水配管と雨水配管が独立している排水方式)のはずなのだが、以前の大雨で汚水/雑排水の流れがひどく悪くなったことがある。泥混じりの雨水が汚水系の配管にダメージを与えないだろうか。いろいろ心配の種は尽きないよ。


2011年3月18日金曜日

卒業式


 三男の卒業式があるから早めにびーさん。人気の無い公園ではルリビタキ雌が朝食を探していた。
 噴砂をだいぶ片付けて頂いて歩きやすくなった道路を、家内と小学校に向かう。
 卒業式は体育館で行われたのだが、ここは緊急避難施設として使われる建物でもある。幸い今日のこの場所では、中学の制服を着た小学生が整然と並んで歌を歌っている。
各所の児童公園には仮設のトイレが10基前後設置されている。この地域では上水と電気/ガスは復旧しているが、排水は下流の本管が損傷しているとの事でたいそう流れが悪い。番地によっては全く使えないらしい。家のトイレは何とか使用できるのだが、流れ終わるまでジッと見届ける習慣がついてしまった。
側溝にみっしりと詰まった泥は専用の機械で排除するのだそうだ。この泥と砂の混合物は、乾いてしまうとかなり堅そうなのだが、どんな機械で取り除くのだろうか。

2011年3月15日火曜日

混雑を避けたくていつもより早く家を出たのに、電車はやはり混んでいた。考えることは皆同じ。会社周辺の大通りにはいつものような人出が無くて、高速道路もずいぶんと空いている。燃料を控えて車が少ないのか。自宅待機の人がけっこう居るのか。泥と格闘した余波であちこち筋肉痛の体をなんとか会社まで到達させる。
津波災害といい、原発の事故といい、安閑とした日常がずいぶんと脆い物だったのだと改めて考えてしまう。原発は心配。東電の説明を十分理解できるほどの知識が無いものの、非常に危険で難しい作業をしている方がおられることはわかる。

2011年3月13日日曜日

液状化

この週末の備忘。金曜日に都内で一泊し、翌土曜日電車の再開を待って帰宅。左はその時の自宅前道路の様子。町内の電信柱のほとんどが傾斜していたが、ここの倒れ方が一番ひどい。電力会社が電柱を建て起こし、宅地側に再度倒れないように仮設ワイヤを設置。土曜日の夕刻に電気が復旧した。日曜日にNTTとケーブルテレビが架線を松林にくくりつけて、ようやく日が暮れる頃に道路上のワイヤや電線が片付いた。埋め立て地だから液状化による被害は予想していたのだが、目の当たりにするとやはりつらい光景だ。周辺の住宅では1棟をのぞいて大きな傾斜は無い。足元が無くなれば家は傾く。どこの砂がどこへ噴出するのかは誰にもわからない。
びーさんをしながら歩き回ると、埋め立ての時期によって液状化被害の現象にも傾向があるような気がした。比較的新しいエリアは宅内の墳砂が多く、塀やガレージの損傷が大きいようだ。古い埋め立てエリアは道路の噴砂がひどいが宅地内の被害は軽微である。旧エリアは地中の砂が噴出の圧力を持った時に、大半が古くて隙間の大きい側溝から開放されたのではないだろうか。もちろん比較的新しい宅地が土中の水分量が多かったとか他の要因も考えられるのだが、道路面上の泥は機械を使えば除去は難しくないので、家が傾くよりはマシだから噴砂の出口をコントロールすれば良いのではないかと考えた。しかし均等に地盤が下がってくれるわけではないからなぁ。友人が(埋立地が)干潟に戻ろうとしているんだと言ったが、自然の前の人間の非力を改めて感じる。
市役所やインフラ事業者さんの迅速な対応のおかげで、とりあえずの生活を確保して頂いたが、本格復旧にはずいぶん時間がかかりそうだ。排水系はかなり損傷したらしく、汚水と雑排水の流れは非常に悪い。この一帯は低いからこれから雨が降るとつらいことになる。上水の出にも力が無い。道路はところどころに段差ができた。写真は近在では一番ひどいと思われる隆起だが、車はしばらくここを通れない。これから電力供給に時間制限が出るらしい。設備系を全て電力に頼る家はつらいだろう。しかし少々の不便があっても、生死に係わることでは無いのだから幸運なのだ。下はジョウビタキ雌の復活をイメージさせるポーズ。(のつもり)

2011年3月12日土曜日

その時

自席で仕事をしていた。階が高いと地震動の周期が長いから、ゆっくりと揺れた経験は何度かあったのだが、途中からの凶暴な動きにただごとではないと身構えた。しかしこういう高層建物の構造体が大きく損傷することは無いだろうから避難はしなかった。
何度か強い余震があって、高速道路は入り口が閉鎖されたらしい。周囲の建物にも、ここから見ている限りは損傷らしいものは無い。高速道路に車が居ないことだけが不思議な光景。
夕刻、電車が動かないから会社に泊まろうと考えていたら、友人がメールで近くに居ることを連絡してきた。電話の類は不通だがメールは何とか使えたのだ。家内からは家族無事の連絡があった。
友人の会社はビルから退去するように指示されたのだという。とりあえず2人で夕御飯を食べる。パチンコ屋がいつものようにギトギトした看板を輝かせていたり、普通に飯屋がやっていたり、帰宅できないせいで道に人はあふれていたものの、いつもと同じところと違うところが奇妙に交錯した感じが不思議だった。私の会社のそばに住んでいる友人のところに泊めてもらおうかなどムシの良いことを話していたら、件の彼は会社に泊まるらしい。歩いていたら文京区の公共施設が帰宅難民のために開放されていた。身を寄せると水とクラッカーを配っていただいたり、毛布を貸してくださったりと手厚い。結果的に会社の椅子でうたた寝よりも、はるかに楽に体を休めることができた。会社に居ることもできた私には、少々申し訳ないような気もした。ニュースも別の部屋でやっていたから、被害が大きくなってきていることはなんとなく感じてはいたのだが、東北地方が津波によって甚大な被害をこうむったことを知ったのは、翌日自宅の電気が復旧し、テレビを見てからだった。

2011年3月6日日曜日

がんばりすぎだよ


 朝のびーさんでは、移動するジョウビタキ雌の飛んでいる瞬間を撮ろうとして失敗。しかし枝にとまっているところは良いものが残った。まぁそんなものだ。
子供たちに手伝ってもらってパーゴラの修繕。昨日のペンキが生乾きだったのでちょっとやりにくい。このパーゴラもかれこれ15年くらいになるはず。ときどき防腐塗料を塗っていたとは言え、レッドシダー(木の材種)はもちが良いと思う。
 キャノピーのメーターパネルのメンテナンスを行う。左写真のように木部が真っ白になって、ごま塩のようなカビも生え始めてしまったのだ。木部は紙やすりをかけてウッドオイルを含浸させ、少し時間を置いて紙やすりをかけて再びオイルを塗る。ウッドオイルは塗りむらができないしお手軽だが、この石油系の臭いが私は苦手。使っているのは防腐剤入りの屋外用だが、屋内用もこんな臭いなのかな。
コンビニ袋をさげるのに重宝している真鍮ハンドルの取っ手がなくなってしまったから黒檀の丸棒を加工して取り付けた。以前の状態に概ね回復。
こういう作業はもう少し時間をかけてのんびりやりたいのだが、いつも使う足だからそうもいかない。昨日のペンキ塗りに続いて今日もちょっとやりすぎた。疲れたよ。

2011年3月5日土曜日

いろいろ届いた日


 コゲラとルリビタキ雄を同じ場所で撮る。ルリビタキ雄の翼を広げた瞬間が取れて幸運。これらは朝のびーさんでGET。夕方のびーさんでは高枝にモズを見つける。降りてこないかなぁとしばらく待っていたのだが、夕日の方向に飛んでいってしまった。
今日は子供たちと一緒に庭のパーゴラにペンキを塗った。パーゴラに這わしている藤の葉が無いこの季節にしかできない作業。藤の芽が出てきているので先週くらいからあせっていた。
今日は風の無いペンキ日和。
びーすけの首輪が到着。かつて購入した首輪の中ではもっとも高価なのだが、びーすけの一張羅のようなもの。これ以外は何も身につけていないのだから、いいんじゃないかということになった。

 PENにツァイスレンズを直接取り付けられるアダプターも到着。このアダプタは後端を絞ったデザインをしている。カメラに取り付けるとなんだか樽のような形になってしまった。まぁこれはこれで面白い。
パーゴラ塗りが終わったら、さっそく近側と遠側のテストをしてみる。液晶画面を拡大してピントを合わせたのだが、メガネをしていなかったから結構いい加減。これで開放は甘いなどと言ったらレンズが可哀想というもの。ちっともテストになっていない。
びーさんの途中で、実をぶらさげたポプラの木を見つける。肉眼で見ていると面白い光景なのだが、写真に撮ってみるとつまらない。どう撮れば良いのかわからなかったのでPicasaで遊んでみたのだが、ちっとも面白くならないよ。

2011年3月2日水曜日

SDカードの中のガラクタ


 夕刻にひかえめな夕焼けが西の空に見えることを同僚が教えてくれた。私はときどき窓ガラスにデジカメを押し付けて写真を撮るのだ。遠くに富士山が見えるが、今日は雲がいいなぁ。
コンパクトカメラのSDカードを整理していたら。先日ヤフオクで入手したステッカーの写真を見つけた。梱包をあけて見たらメイドインチャイナだったのだが、東南アジア方面では、お国のバイクにHONDAのステッカーを貼ったナンチャッテホンダが横行していると聞くから、これもそういう類のものかもしれない。それにしてもYAKUZAってブランド名なのだろうか。どうせヤクザな代物だよ...って開き直っているのか。日本映画の影響でカッコいい何か...みたいな勘違いなのか。
 コンパクトカメラの液晶を使った合わせ鏡のような画像。これもSDカードに残っていた。遊びにきた友人が三男に撮らせたらしいが、なかなか楽しい。
下はいつ撮ったか忘れたが、新宿方面の後に山なみが望めた日の写真。フォトショップの画像処理で手前のビル群をシルエットにしてしまった。空の色がもうヒトツです。