2014年6月16日月曜日

他人の痛みはわからない


あっという間に1週間が過ぎてしまった。画像は会社を休んだ月曜日に撮ったもので、ウィークデーに先週末撮ったものをのんびりとブログに入れようと思っていたのだが、疲れる仕事が多かったのと、体調がよろしくないものだから今日に至ってしまった。
月曜日に会社を休んだのは、腰痛がひどくなったので久しぶりに医者に行こうと考えたから。
前回診てもらった総合病院に朝電話を入れてたら、50人以上の待ちであることがわかった。前回レントゲンを撮って骨に異常は無い以外に明確な診断が無く、体操を勧められただけということもあってすっかり行く気を失った。ネットで近所の整形を探したら、院長の挨拶文がなかなか良いところを見つけたのでそこに行くことにする。挨拶文が立派だから名医であると 短絡したわけではもちろん無い。
行ってみるとひどく待合室が空いていることに驚く。整形は普通老人がごったがえしているものだから、ちょっと嫌な予感。一人の医者(院長)が3つの診断室を順番に使っている。間もなく呼ばれてその一つに入ると、隣の診察室から医者が患者に私の話をちゃんと聞いているかと詰問している声が聞える。患者は年寄りなのかもしれないなぁと思いつつ、厳しいなぁとぼんやり考え、さらに嫌な予感がいや増して来る。問診のあとレントゲンを撮って、再び診察室に戻る。椎間板ヘルニアは確かにあるが、それほどひどい状態では無いと言う。

股関節が硬いために腰に負担がかかっているという説明は私の実感に近い。積極的に検査・治療をするか、ストレッチを心がけて様子をみるかと聞かれたので、前者は必須なのかと尋ねたら、必須とは何かと問い返された。問答の末わかったのは、医者は積極的な治療が必要かどうかはわからない。決めるのは患者であるという事。この程度の検査では決定材料が無いという医者の理屈はわかるのだが、私にはあなた以上にわからないよ、と考えたので積極的検査・治療は行わないことにした。痛み止めはいるかと聞かれたので、いらないと答えて医院を出る。
これでははやらないだろうなぁと思いつつ、それでも医者の言っていることにはウソやいいかげんが無いことも理解できた。レントゲンには私の痛みは写らない。小指の先を切っただけでも大騒ぎする人もいれば、油汗の出る痛みでも我慢してしまう人もいる。痛みの客観評価は難しい。それでも痛みが身体の出している救助信号であることは間違い無いのだろうから、放置による危険の可能性は大きい。不確かな前提で理学療法やら投薬やら手術へ誘導しなかったのは彼の誠実なのだが、患者の痛みをわが事と受け止める気配も感じさせなかったのは、残念だが医者以前に人として魅力に乏しいと考えた。整形ではこのタイプに何度か遭遇してる。ひとの痛みはわからないという慣用句が妙にぴったりくるものだから可笑しい。
結局 前回総合病院で受けた処置と今回の処置になんら変わるところもなかったのだが、整理すると、深刻な状況は骨には見られないという事と、股関節を伸ばすべきという2点が今回2170円で得られた情報であった。
というような事情で、医者はあっさりと終わったから、痛む腰をなだめつつチョウゲンボウを撮りに行ったわけだ(我ながら愚かだ)。そして腰はいっこうに良くならなくてつらい1週間だったわけだ。さてこれからどうしたものかな。(6月20日記す)

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