2013年1月1日火曜日

年賀状


 小学生の低学年から年賀状を作るのは我が家では私の仕事だった。家族全員が私の作った絵柄を使っていたのだ。これは父の姑息な作戦で、仕事の関係から出版やデザイン関係者、つまり目の肥えた人にも賀状を送らなくてはならなかったから、子どもの絵なら(どんなものでも)寛容を持って受け入れられるはずという計算だったらしい。これは後年父から聞いた話。
 芋版から初めて、ゴム版や木版などを使った記憶がある。厚紙に貼ったフェルトを切り抜いて、水彩を含ませて刷る方法は、多色刷りが簡単にできるのと、絵の具の滲み具合が面白くて長く愛用した。馬簾の強さや絵の具の含有量で出来不出来があるから、父がこれは良く出来たからあの方に、これはこの人でいいやなどと独り言を言いながら選り分けていた。プリントゴッコという画期的な印刷方法を、家内が嫁入り道具の一つとして持ち込み、パソコンと高性能なインクジェットプリンターに代わるまでは、年末になると床いっぱいに葉書を広げて乾かしたものだ。
それにしても、図案がすぐに決まれば楽しいのだが、なかなか決まらないことが多い。この毎年の恒例はけっこうな精神的負担で、12月の声を聞くと気が重くなったりもした。
その反動もあってか、年賀状のやりとりにはあまり熱心にはなれない。送ってくださった方には返すのだが、図案も手書きのあいさつが短くて済むように場所ふさぎが目的のようなもので、あまり心がこもっていない感じが最近は多いが、とは言えあんまりなものも出したくはない。
 昨年も押し詰まった12月31日になって、家内が作ってくれないのかと言い出すから、適当に写真をながめてコラージュでごまかしたのが上の画像。29日に撮ったシャボンの写真だったりするところがいかにも付け焼刃。しかし家内はあまり気に入らない。しかたなく昔撮った富士山の写真やら鷹の写真などを探して、いかにも寿いだ感じの絵を作ってみせた。かろうじてお許しの出たものを量産したが、なんとなく文房具屋さんや本屋さんで売っていそうなものができた。「なんか買ってきたみたいだね」というのが家内の評。誉められたわけではない事は確か。

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