2014年6月30日月曜日

アオバヅク


 朝からの雨は昼近くにはあがって日差しも力強くなった。なんとなくけだるいものだから、昼食後にごろごろしていたら友人がやってきて、最近撮ったというヒキガエルのクローズアップ写真を見せてくれた。この人も近接撮影が好きで、なかなか上手い写真。
車で来ていたから、アオバズクの居る神社まで連れて行ってもらうことにした。到着するとカメラマンが一人も居ないものだから、どの木に居るのかがわからない。ブランコで遊んでいた子供たちに教えてもらって撮ったのがこの写真。非常に暗い被写体で、まったく動かなかったように見えたのだが、帰ってからパソコンで暗部を引上げると、首だけはずいぶん動かしていたことがわかる。
 子供たちの解説によれば、お母さんは巣穴で子育て中で、枝に居るのはまわりを見張っているお父さんなんだそうだ。それで警戒して首を回していたんだね。
カメラで撮っていたら、神社に散歩にきた大人や子供になにが居るのかたずねられる。とてもわかりにくい暗い場所に居るものだから、あれだと言ってもなかなか見つけられない。そのうちに我ながら視線のガイドがとても上手くなってしまった。
ごろごろと遠雷の音がするので車に戻って帰路についたら、突然の大雨になった。
左の写真の15時半は往きの写真で、青空が見える。その下の17時はたたきつけるような雨。その13分後は雨があがって周囲は再び明るくなった。
こういう天気が最近多い。熱帯のスコールとはこんな感じなのだろうか。

2014年6月28日土曜日

昔の写真


 朝から雨の土曜日。びーすけはびしょぬれでも平気で散歩。帰ってから吸水タオルで拭いてやるのだが、タオルがずっしり重くなる。
午後に近くのニトリに車で買い物に行く。ニトリは通勤降車駅にもあるのだが、大物は車でないと持ち帰れない。母のそばで生活するために1階に拠点を移しつつあるので、下着を入れる小さな衣装ケースが必要になった。
夕刻に近い時間に晴れ間があったから、びーすけと夕方の散歩。途中で小雨に会う。大気の状態は不安定なのだ。公園も人影が少ないが、こういう週末はみんなどこに行っているのだろう。
夜になってから母の古いアルバムの写真を複写してみる。装置はそろったのだから、作業を開始しなくてはいかん。
母方の祖父母をまじまじと見たのは初めてだ。母が生まれる前の祖母は丸髷を結っていたが、生まれてまもなく撮った写真では髷ではない不思議な髪型になっている。大正から昭和にかけての風俗の変化がわかる。赤ん坊の母は中国皇帝の幼少を思わせる極端に短いおかっぱ頭なのだが、この頃の子供はみんなそうだったのか。カビの生えた写真の修整はけっこう面倒くさいものの、楽しい発見もある。

2014年6月22日日曜日

雨の日曜日は工作


 夕方になるまでずっと雨だったので、朝夕のびーさん以外は作業小屋にこもって左のようなものを作っていた。
これは古い写真をマクロ撮影をするための台なんである。父の書斎コーナーを整理していたら、古くて退色した写真がけっこう出てきて、これらをデジタル化しようと考えた。効率的に作業するためにカメラの位置を正確に決めることと、照明の向きや位置を固定できること、といった条件を満たすものが欲しかったのである。
 カメラを上下左右に移動させる微動装置はネットで買った安物をそのまま利用することにした。これをテーブルの脚として売っていたパイプに固定する部分を、堅木を削って作ったというのが今日の作業である。木材はずいぶん以前に買ってあったものだが、裏の物置に放り込んでおいたのを先日ほかの物を探していたら発見した。反りも出ていなくて良い木なのだが、ちょっと厚いものだから加工は苦労した。
なんとかざっとしたところは出来たのだが、照明の固定法や写真の位置決め用のアタリとか、細部はまだまだこれから。
 まぁ そんな手間隙かけなくても、複写ぐらい三脚使ってさっさと作業をすればいいんじゃないかとも思う。そこはそれ、プロセスを楽しむのが趣味人なのだよ、という事にしておこう。
この台は、写真の複写をするだけではなく、苔やらのマクロ撮影にも重宝する予定なんである。

2014年6月21日土曜日

子供たち(チョウゲンボウ)

子供たちがどうやら自力で餌探しができるようになったらしいので、親たちは巣を離れてしまったようだ。長い時間いたわけではないが、2羽しか確認できなかった。左はそのチョウゲンボウの子供2羽が、同じフレームに入ってくれた瞬間なのだが、左が雄、右が雌のようだ。上の写真は雄。
 やはり子供らしい顔をしているなぁと思う。雄は盛んに近くで獲物を狙ってくれたのだが、空振りが多くてかわいそうだった。
左の写真の尾羽の柄に注目すると、16日に撮った写真はお父さんとこの子の判別ができる。
 右は雌のようなのだが、おきゃんな感じで、お目目のパッチリしたなかなかかかわいい顔をしている。雄に比べるととても小柄だから、妹なのだろう。
 右は雌が獲物をひっさげているところ。そのうちこの2羽もどこかへと行ってしまうんだろうね。
今日は流しの配水管が壊れたので、チョウゲンボウを撮った後、ホームセンターに寄って材料を買って帰る。この日はロードバイクを使って移動したのだが、気持ちのいい輪行でした。

2014年6月16日月曜日

他人の痛みはわからない


あっという間に1週間が過ぎてしまった。画像は会社を休んだ月曜日に撮ったもので、ウィークデーに先週末撮ったものをのんびりとブログに入れようと思っていたのだが、疲れる仕事が多かったのと、体調がよろしくないものだから今日に至ってしまった。
月曜日に会社を休んだのは、腰痛がひどくなったので久しぶりに医者に行こうと考えたから。
前回診てもらった総合病院に朝電話を入れてたら、50人以上の待ちであることがわかった。前回レントゲンを撮って骨に異常は無い以外に明確な診断が無く、体操を勧められただけということもあってすっかり行く気を失った。ネットで近所の整形を探したら、院長の挨拶文がなかなか良いところを見つけたのでそこに行くことにする。挨拶文が立派だから名医であると 短絡したわけではもちろん無い。
行ってみるとひどく待合室が空いていることに驚く。整形は普通老人がごったがえしているものだから、ちょっと嫌な予感。一人の医者(院長)が3つの診断室を順番に使っている。間もなく呼ばれてその一つに入ると、隣の診察室から医者が患者に私の話をちゃんと聞いているかと詰問している声が聞える。患者は年寄りなのかもしれないなぁと思いつつ、厳しいなぁとぼんやり考え、さらに嫌な予感がいや増して来る。問診のあとレントゲンを撮って、再び診察室に戻る。椎間板ヘルニアは確かにあるが、それほどひどい状態では無いと言う。

股関節が硬いために腰に負担がかかっているという説明は私の実感に近い。積極的に検査・治療をするか、ストレッチを心がけて様子をみるかと聞かれたので、前者は必須なのかと尋ねたら、必須とは何かと問い返された。問答の末わかったのは、医者は積極的な治療が必要かどうかはわからない。決めるのは患者であるという事。この程度の検査では決定材料が無いという医者の理屈はわかるのだが、私にはあなた以上にわからないよ、と考えたので積極的検査・治療は行わないことにした。痛み止めはいるかと聞かれたので、いらないと答えて医院を出る。
これでははやらないだろうなぁと思いつつ、それでも医者の言っていることにはウソやいいかげんが無いことも理解できた。レントゲンには私の痛みは写らない。小指の先を切っただけでも大騒ぎする人もいれば、油汗の出る痛みでも我慢してしまう人もいる。痛みの客観評価は難しい。それでも痛みが身体の出している救助信号であることは間違い無いのだろうから、放置による危険の可能性は大きい。不確かな前提で理学療法やら投薬やら手術へ誘導しなかったのは彼の誠実なのだが、患者の痛みをわが事と受け止める気配も感じさせなかったのは、残念だが医者以前に人として魅力に乏しいと考えた。整形ではこのタイプに何度か遭遇してる。ひとの痛みはわからないという慣用句が妙にぴったりくるものだから可笑しい。
結局 前回総合病院で受けた処置と今回の処置になんら変わるところもなかったのだが、整理すると、深刻な状況は骨には見られないという事と、股関節を伸ばすべきという2点が今回2170円で得られた情報であった。
というような事情で、医者はあっさりと終わったから、痛む腰をなだめつつチョウゲンボウを撮りに行ったわけだ(我ながら愚かだ)。そして腰はいっこうに良くならなくてつらい1週間だったわけだ。さてこれからどうしたものかな。(6月20日記す)

2014年6月15日日曜日

日曜日の早起き

 日曜日は朝早く起きてびーすけの散歩を済ませた。散歩をせがんだあげく勇んで飛び出すものの、陽射しが強いとびーすけはすぐにへばってしまう。ここいらへんの先読みの無さがかわいいところでもあるのだが。
 ぐったりしているびーすけを置いて海岸に出かける。天気が良いから良い写真が撮れた。
4人ほどよくお会いする方が居られたのだが、誰ともなしに今日は10時からワールドカップの日本戦があるという話になる。
 現地到着直後にSDカードを忘れてBORG+AFアダプタが試せないことに気がついた私は、(いつものEOSは使えた)さっさと切り上げて家でテレビ観戦。結果は残念。
 急いで家に戻る途中で、低い軒先にツバメの巣を見つけたので帰りがけの駄賃に撮っておいたのが右の写真。
巣立ち直前の子ツバメが鮨詰め状態になっている。嘴が雛の特徴を残しているものだから可笑しな顔。
(6月17日記す)


2014年6月14日土曜日

何もしない


 何もしない、つもりだったわけではないが、土曜日は何もしなかった。
朝のびーさんに行って、海岸に行ってチョウゲンボウ撮るか、神社に居るというアオバヅクを撮るか、そんなことをぼんやり考えながら昼寝をしてしまう。
 起きると、もはや陽がかたむきつつあったから、夕方のびーさんに出かける。
近所の小学校の校庭には、古いタンク型の蒸気機関車がある。だいぶ前にアスベストがあるという理由で柵で囲われてしまった。だれにも乗ってもらえない、遠巻きに見られる物としてこの機関車は残されている。ちょっと感傷的にさせるもの。
これは小学生にはどう見えているのだろう。そもそも機関車を校庭に置いたのはなぜなんだ?産業革命の遺物として教育的な展示物なのか。
子供は機関車が好きという事になっているのか。
「機関車やえもん」とか「機関車トーマス」とかあるけど、僕の子供時代にはすでに蒸気機関車が現役で稼動していなかった。僕よりもかなり年上の人たちには思い出深いものなんだろうが、大人が考える子供の好きなもの、こういうものが好きな子供を好きな大人たち。あぁ、なんかひねくれたことを書いている。
(6月16日記す)

2014年6月11日水曜日

犬も歩けば


 今日の写真は日曜日のびーさんで撮ったもの。上の写真はEOSにマクロレンズ。直径にして1cmにも満たない小さな花が地上からニョキと出ていたので、あまり考えずに撮ったら、マクロレンズの被写界深度がえらく浅かったのでちょっといい感じの写真になった。
 ポピーもおおかたは花が終わってしまった。花弁が無くなってむき出しになった子房が、写真では行灯のように光って見える。これも撮った時に意識したわけではない。
 雨粒が花弁にたくさん付いていると、なんかいい絵になるのではないかと撮ったうちの1枚。ガラス細工のように見えるから不思議だね。
技術がなくてもたくさん撮れば楽しい絵が残ることもある。そもそもびーすけのお供で撮っている写真なのだから、行き当たりばったりはしかたがない。犬も歩けばなのだ。

2014年6月9日月曜日

日曜日のチョウゲンボウ


 日曜日に撮ったチョウゲンボウの写真。
小雨まじりの曇天で、昼食後に徐々に明るくなってきたので、ダラダラと続けている書斎の片付けを休止して海岸に出かけた。
行ってみるとギャラリーはわずか2人で、私の到着後早々に降りそうだと撤退してしまった。
帰るタイミングを迷いながらしばらくぼんやりしていたら、雄が近いところで精力的に狩を始めてくれた。ギャラリーが少ない(私一人)からだろう。
この日は多少の防水性が期待できるズック鞄にEF400だけを放り込んで自転車でやってきた。機材の展開と撤収を考えると、身軽な方が良いはずだ。それに試行中の天体望遠鏡BORGED100とオートフォーカスアダプタの組み合わせは、ちょっと頭を整理する必要がある。だからこの日は400mmの望遠レンズのみ。
結果的に、飛び回る被写体を追いかける日になったから、どうせ望遠鏡は出番が無かった。
下の写真は、比較的大きなトカゲを右足にひっさげている雄。左の写真は、この日あまり活動しなかった雌。
曇天なので発色はとても悪い。もう少しソフトウェアで彩度をあげてもよかったかな。

2014年6月7日土曜日

入梅


北海道を除いて全国的に入梅。今年の梅雨は長引くそうだが、通勤の不便がちょっと憂鬱。
先週から始めている書斎の引越しを今日も行う。本当は本を日向に干したいところだが、この陽気ではそういうわけにもいかない。
父が亡くなって14年になるが、父の書斎コーナーはそれ以来手付かずのまま放置されていた。
貴重なものなどあるはずも無いと思っていたが、杉全直(すぎまた ただし)の絵が出てきた。前の家ではたしかに壁にかかっていた。ひどく傷んでしまっているから廃棄したいところだが、好きな絵なのでとっておく。こういうのは直すとお金がかかるんだろう。
虫が湧いていそうな紙のたばをどんどん捨てていたら、父が私と姉にあてた手紙が出てきた。私が高校生の頃、受験で気の立っていた姉とつまらないいさかいをしたことがあったらしい。これを諌める手紙なのだ。
父は新聞社に勤めていたから、深夜帰宅で昼前出勤の人だったので、子供と話す時間がなかなかとれなかった。だから同居している子供宛てに手紙を書くことになったらしい。しかしこの手紙を見た記憶が私には薄い。結局子供たちに示さなかったのかもしれない。
内容は父の世界観が強く出ているもので、いたわりや思いやりの重要を説いている。推敲の形跡が無いから恐らく書きっぱなしのもの。2時に帰ってこれを書いているという始まりなのだが、ちょっと胸を打つものがあった。(8日記す)

2014年6月1日日曜日

書斎の引越し

 今日のチョウゲンボウは、2枚とも3枚の合成だが、これらはいつものEF400によるもので、今日の主眼だった700mmのBORG100EDの講評は後日。
 私の書斎をだいぶ以前に次男に譲ってから、2階のリビングの隅の書斎コーナーで写真の加工やら会社の宿題なぞをやっていた。1階の母の部屋には亡き父の書斎コーナーがあって使われていない。色々考えるところあって、リビングから母の部屋に道具を持って引越しをすることにした。昨日から作業をしていたのだが、なんとか新しい書斎コーナーで仕事ができるようになった。
作業の大半は母の部屋から不用品を廃棄することだった。