自席で仕事をしていた。階が高いと地震動の周期が長いから、ゆっくりと揺れた経験は何度かあったのだが、途中からの凶暴な動きにただごとではないと身構えた。しかしこういう高層建物の構造体が大きく損傷することは無いだろうから避難はしなかった。
何度か強い余震があって、高速道路は入り口が閉鎖されたらしい。周囲の建物にも、ここから見ている限りは損傷らしいものは無い。高速道路に車が居ないことだけが不思議な光景。夕刻、電車が動かないから会社に泊まろうと考えていたら、友人がメールで近くに居ることを連絡してきた。電話の類は不通だがメールは何とか使えたのだ。家内からは家族無事の連絡があった。
友人の会社はビルから退去するように指示されたのだという。とりあえず2人で夕御飯を食べる。パチンコ屋がいつものようにギトギトした看板を輝かせていたり、普通に飯屋がやっていたり、帰宅できないせいで道に人はあふれていたものの、いつもと同じところと違うところが奇妙に交錯した感じが不思議だった。私の会社のそばに住んでいる友人のところに泊めてもらおうかなどムシの良いことを話していたら、件の彼は会社に泊まるらしい。歩いていたら文京区の公共施設が帰宅難民のために開放されていた。身を寄せると水とクラッカーを配っていただいたり、毛布を貸してくださったりと手厚い。結果的に会社の椅子でうたた寝よりも、はるかに楽に体を休めることができた。会社に居ることもできた私には、少々申し訳ないような気もした。ニュースも別の部屋でやっていたから、被害が大きくなってきていることはなんとなく感じてはいたのだが、東北地方が津波によって甚大な被害をこうむったことを知ったのは、翌日自宅の電気が復旧し、テレビを見てからだった。
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